富山県レスリング協会 ご挨拶
富山県レスリング協会は、昭和22年の設立以来、レスリング競技を通して、子どもたちの心身の健全な育成を目指し活動を続けてきました。この間、多くの皆様のお力添えを賜り、全国大会や世界大会で活躍する選手を輩出するに至りました。特に2014年、2015年の世界選手権ならびに2016年のリオオリンピックにおいて金メダルを獲得した登坂絵莉選手の活躍は、本県のみならず、日本のレスリング界にとっても大きな弾みとなりました。
しかし、昨年からのコロナ禍により、2020東京オリンピック・パラリンピックは1年間の延期、また本年の開催も危ぶまれている状況です。
本県においては、コロナ禍での練習や大会運営は試行錯誤の末、手指の消毒だけでなく、換気やマットの消毒を徹底し、長引くコロナ禍にあってもステージを確認しながら、できる範囲で精一杯の競技力向上に努めているところです。
またアスリートの育成については、幼少期から専門的な競技に取り組みながらも、故障や心身の不調等で青年期以降の生活に支障が出ないよう、最新のスポーツ理論を基に取り組みを進めていく所存です。
本協会といたしましては、これからも心身ともに健全な子どもたちの育成を柱としながら、全国大会や世界大会といった檜舞台で活躍できる選手の育成に力を注ぎ、「元気とやま」の創造に寄与していきたいと考えております。今後とも皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。
富山県レスリング協会の沿革概要
富山県レスリング協会は、昭和22年に神保正二(中央大学OB・富山県警察)・島川幸雄(学生時代に神田YMCAでレスリングを学ぶ)・鷹取稠(日本大学教員・レスリング部監督)の3氏が中心となり、柔道関係の役員の協力を得て設立されました。当時は、柔道の畳を利用して練習するという状況でした。そうした中、島川・神保両氏の骨身を削る熱心な指導の下、旧制魚津中学校・滑川高校の生徒たちが次第に力をつけて、全国的なレベルに達するまでに成長しました。
昭和33年の富山国体開催を契機に、指導者と選手が一体となって新しい技術や練習方法を学び、本県の競技力が飛躍的に向上しました。さらに高校で育った選手が大学に進学し、ますます力をつけて世界選手権やオリンピックなどの大舞台でめざましい成果をあげるようになりました。
昭和40年前後には、世界選手権やオリンピックなど、世界を舞台に活躍する選手を輩出し、「レスリング王国富山」と呼ばれた時期もありました。本県にレスリング競技が伝わった当初、活動していたのは滑川高校と桜井高校の2校のみでしたが、富山国体以後、上市高校、高岡商業高校、北日本電波高校(現高朋高校)、小杉高校、高岡東高校(現高岡向陵高校)と次々に高校レスリング部が誕生しました。
昭和40年代に入り、新たに富山第一高校、高岡第一高校にもレスリング部が新設され、高校レスリングの黄金時代を迎えました。このような状況の下、多くの選手がレスリング競技に関わってまいりました。
その後、大学に進学して競技を続け、全国を舞台に活躍する者、地元に戻って後進の育成に携わる者など、多くのレスリング関係者によって本協会の活動が支えられてまいりました。
平成12年の「2000年富山国体」を機に、富山県少年少女レスリング連盟、富山県社会人レスリング連盟を本協会の傘下団体として設立するなど、ジュニアから高校生、社会人までの一貫したレスリング競技の普及と競技力向上に努めてまいりました。しかし、近年は少子化の影響もあり、現在レスリング部が活動している高校は、滑川高校、桜井高校、高岡商業高校、高岡向陵高校、富山第一高校のわずか5校になっています。
一方で幼少期からの選手育成など、スポーツ界は転機を迎えており、本県においても黒部レスリングスポーツ少年団、滑川ジュニアレスリングチーム、高岡ジュニアレスリングクラブ、MIYAHARAGYM、富山ジュニアレスリングクラブ、富山第一レスリングクラブの6つのチームで学童や中学生が活動しています。
これらのチームで幼少期にマットの上で遊ぶことから始めた子どもたちが、全国大会でも結果を残すようになってきました。そして、2016年リオ五輪において、登坂絵莉が県出身初の金メダルを獲得いたしました。
本協会は2017年、創立70周年を迎えました。この70年の間に数々の輝かしい成果をあげるとともに、社会で素晴らしい活躍を遂げる人材を輩出してまいりました。これからも時代の波に乗り遅れることなく、レスリングに携わる者が一丸となって21世紀に生きる青少年の育成に努め、競技人口の拡大と競技力の向上に努力し、本協会の発展に努力してまいります。